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沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年に、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。
連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナーいくさ)ともいいます。
沖縄戦の戦力は、大日本帝国軍が116,400人。アメリカ・イギリス軍が548,000人です。
損害は、日本側の死者・行方不明者は188,136人です。沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人でした。また、アメリカの総死者は20,195人、イギリスの死者は85人でした。
沖縄戦は1945年の3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は4月2日に開始して、6月23日に終了しました。
沖縄本島地区における最終的な日本側の陸上兵力は、116,400人とされています。しかし、日本本土から戦闘部隊として派遣されたのはその中で50,000名に過ぎませんでした。
他に海軍陸戦隊で実際に武器の操作ができるのが3,000名、軍の後方部隊が20,000名いて、残りの約35,000名が防衛召集された沖縄県民でした。
軍は戦力不足を補うため、自力戦力増強として沖縄県民の17歳以上45歳未満の男子を召集して、各部隊や「防衛隊」と俗称される補助兵力に編入しました。しかし、沖縄からは既に30,000名が召集され沖縄県外の部隊に従軍しており、合計65,000名が兵士として召集されたこととなり、沖縄の郷村に青年男子無しと言っても過言ではない状況となりました。
他に旧制中学校の生徒から成る鉄血勤皇隊や、女子生徒を衛生要員としたひめゆり学徒隊・白梅学徒隊なども組織され、その数は2,000名以上にも達しています。